PUNKROCK GAMER

やっぱり、ゲームの話をしよう

ハムスターは回し車を回し、飼い主はそれを与えた。この場合、回し車に原初の目的を与えた人間は誰か。

人類はゲームというメディアにとって如何なる存在になれるのか。

――双方向性が与える、「能動的である」という錯覚の話。

 

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近年はサブスクリプションモデルのビジネスの隆盛が目立つが、私個人はそろそろ、このビジネスモデルは「定番」を除いては限界がきているようにも感じる。あくまでも体感レベルなので、嘘っぱちの可能性も大いにある。

音楽(音)や動画メディアはこれまで、それ自身の変化はあまりなかったように思う。変わったのは音を保存するための媒体の方だ。カセットテープやCD、DVD、Blu-rayなど、フィジカル媒体の人気が根強い日本でも、このところSpotifyApple Musicが人気だ(しかし、音楽鑑賞のデファクトになっているわけでもなく、むしろ伸び悩みがあるとも考えられる)。

私はそうしたサービスが情報を繋ぎ止めておくだけの媒体であるとか、単なる媒体の推移として考えることに退屈さを感じる。現在、サービスがクラウドに移行することで、全てのユーザーがほぼ同じ条件でサービスを利用できるようになった。手元にサービス内容を受けることができる「コントローラー」と「モニター」さえあれば。しかし、現状というのは、だだっ広い平野にサービス利用者が放たれているような感覚があって、実は今後、利用者とメディアとのインタラクトが可能な時代がやってくるのではないかと考える。例えば、Spotifyのサービス上に仮想オーディオルームなるものを作り、実際にあるスピーカーなどを仮想空間の中に配置して、自分好みの音の聞き方ができるようになるとか。
あるいは、もっと楽しい機能を実現してくれる開発者が必ず、そのうち現れる。

音楽だけでなく、動画との関わり方を双方向にしてくれるものだって現れるだろう。まるでサービス側から、我々一人一人にフィットする、様々なサービスをリアルタイムに変化させながら語りかけてくるようなオーダーメイドなもの。YouTubeのレコメンド機能よりも、もっと複雑かつ、我々を先回りするもの。
私が動画において、その分野で最も期待するのは教育系の動画だ。現在はあらかじめ用意された動画の内容に沿って、学習者は観るほかない。せいぜい、2つ3つ選択肢があって、その選択次第で変化するような映像が用意されている、クイズ機能程度しかないだろう(少なくとも、"一般的な"クリエイター向けには)。けれど、今後はもっとぶっ飛んだ体験になっていくはずだ。
AIが視聴者の選択によって、映像をリアルタイムに作成して、アジャストメントされた内容を提示してくれる。
学習者が納得いくまで、付き合ってくれるような学習サービスだ。マイクとスピーカーがサービスと連携されていて、クラウド上のAIが受け答えをするばかりか、ランダムな質問を投げかけて、我々の知的好奇心を刺激するもの。
はっきり言えば、現在の動画サービスや音楽再生サービスは受動的になればなるほど、そのサービスの機能を堪能できるような仕組みになっているのだけれど、人々は怠惰になることを恐れている。私も受動的な態度で音楽を満喫できるほど、「感じない人間」ではない。

つまり、プラットフォーマーたちの目下の課題は人々を能動的にサービスに依存させることだ。より、人々が自らの意思でそこにハマっていくような、課題と報酬に満ちたジャンクなサービスだ。
例えば、ゲームというメディアのように。

 

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利用者の知的好奇心を刺激し、達成目標を明らかし、それをサポートしてくれるプラットフォームが登場すれば、本質的にはそれはゲームと変わらない。

RPGは魔王がいて、魔王の城に行くために、道中のモンスターやボスを倒さなくてはならない。ダンジョンをクリアして、魔法のとびらを開けるための鍵だって手に入れなくてはならない。こういった具合に、プレイヤーに分かりやすい目標を与えてくれている。そして、ボスを倒すためにはレベルを上げなくてはならない、という課題だって明確にある。そして、それを可能にするために主人公を助けてくれる仲間や、体力を回復してくれる宿屋やより魔物を倒しやすくなる武器を売ってくれる、武器屋だってある。

プレイヤーを「能動的になっている」と錯覚させることができる作品こそ、世に語り継がれる面白いゲームである。ハムスターはかごの中で、回し車を自らの意思で回しているはずだ。けれど、その回し車を与えたのは人間だ。もっと言えば、どこかの飼い主がハムスターに回し車を与えることを分かっているから、どこかの工場で回し車が作った人間がいる。誰かの目的はまた別の誰かによって作られている。回し車に原初の目的を与えたのは誰だろう。だけれども、飼い主は自分の意思でハムスターに回し車を与えているし、ハムスターだって自分の意思で回し車を回している。その能動的な意思が錯覚だと言えば、たしかにそうかも知れないが、それは原理原則を辿ってみただけの当たり前の話に過ぎない。否定的な感情とともに、それを退屈であると指さして言いたくなる(あるいは……)。
しかし、インタラクトとはその錯覚を覚えさせるための、魔法の鍵のようなものだ。もし、双方向性がなければ、王様だってお姫様だって、ドラゴンだってなにも答えてくれない。それはまるで、マグネットボードの上で磁石を移動させるだけのもの。飲み物が落ちてこない自動販売機。光ることのない太陽。
だからこそ、彼らはあなたを能動的に冒険させるために役割を与えられた駒として配置された。

このように、音楽や動画、ゲームにしたって、メディアが人間に与える機能面に絞って話せば、いくらでも冷徹に指し示すことができる。ほとんどの人間は、提供者があらかじめ用意された通りの遊び方しかできていないし、今ではサービスに搭載された機能が豊富になっていて、人々はその一部のみで満足できるようになっている。Spotifyこそが完璧な音楽配信サービスだ!とは言えないような気もするが、だからと言って一般ユーザーはそれ以上の音楽配信サービスの機能を発想しない(細かな機能はどうあれ、各サービスの根本にある意図は変わらない)。
かつて人々はカセットテープに様々な音声(実は映像だって撮れた)を録音して、様々なシーンに合うようにミックステープを作っていた。それはDJではない、一般ユーザーである私の母や父でもそうした遊び方をしていた。その渾身のミックステープをカーステレオで流しながら、2時間のドライブを楽しんでいたのだ。その瞬間、我々はカセットテープという媒体に意味を与えることができていた。音声情報を与える媒体ではなく、音楽が流れる空間や場面の方を思い描き、工夫していたのだ。

現在はどうだろう。我々はSpotifyApple Musicになにを与えられているだろうか。せいぜい、プレイリストを作ってシェアして、承認欲求を満たすことができる程度の遊びくらいだろうか。

そして、双方向性がメディアの壁の融解をもたらした後、我々はゲームというメディアをどのように認識し、関わっていくのだろう。

人類はゲームというメディアにとってなんなのか。きっと、我々はまだゲームの遊び方をあまり知らないだけだ。そう信じてみることにした。

 

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