PUNKROCK GAMER

やっぱり、ゲームの話をしよう

実は僕たちは「ゲームの遊び方」をあまり知らない、という話をしよう。

僕たちは「ゲームの遊び方」を与えられている、という話をしよう

――ゲームの目的と遊び方、または「ゲームに飽きる」ということの本質

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ゲームの遊び方は人それぞれなので、他者のゲームの遊び方に対して私がどうこういうつもりはない。しかし、私のゲームの遊び方は最近、かなりグレードアップしてきているという、カッコよさはアピールはしておきたい。

そもそも、ゲームの遊び方という言葉について整理しておこう。これは難しく考える必要はなく、RPGならば「お姫様を助けに行こう」だとか、「このダンジョンの奥底には魔法の鍵があるのじゃ。取ってまいれ!」みたいな目的を達成することだ。

ドラゴンクエスト』シリーズならば、邪悪な魔王を倒すために冒険に出かけるだろう。当然、その道中にはモンスターやボスが出てくるので、私たちはそいつらを倒すのだ。私たちはゲームの開発者に「ゲームの遊び方」を与えてもらっている。基本的に誰にでも分かる、明解な目的に沿って、私たちはゲームを遊んでいる。そして、最終目標である「魔王を倒せ!」を達成すれば、多くの人は次第にそのゲームに飽きて、プレイしなくなるだろう。あるいは永遠に。

私は任天堂から2017年に発売された、『スプラトゥーン2』というゲームを2000時間以上プレイしている。そんなにプレイしていて飽きないものか、という質問をたまに受けるのだが、本作にいたっては飽きる気配がまだない。
それどころか、最近は「私による私のためのデイリークエスト」なるものをを用意して、遊んでいる。私はそのデイリークエストを達成しては「俺、よくやったぞ!」という、変態的な遊びをしている。
例えば、「今日はチャージャー(スナイパーライフルみたいなブキ)で、30回敵プレイヤーを倒すぞ!」などのノルマを自分で決めて、それを達成するのだ。
ちなみに私のウデマエ(FPSなどのランクマッチで言うところのランク)は大したことない。全てのルールで「ウデマエX」に行っているものの、最高Xパワーは2300台(ガチエリア)なので特に上手なプレイヤーではない。

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また、エリック・バロン氏が開発する、『Stardew Valley』でも私は「自分用のデイリークエスト」なる遊びを始めている。この作品は主人公の祖父が遺した荒れ果てた牧場を整備し、村人と交流し、思い思いの生活を過ごす、牧場ライフシミュレーション・RPGである。
私はゲーム内の一日一日に「地面を掘って粘土を5個手に入れたら目標達成だ!」など、自分で目標とルールを決めて、遊んでいるのだ。前述のように、それを達成しては「俺、今世界中のStardew Valleyプレイヤーの中で最も意識が高いぞ!」という狂人的な遊び方をしている。

 

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私はこれまで、この遊び方を他者に提示し、「これがゲームの正しい遊び方である」とか、「私の真似をした方がいい」と言ったことはない。
ただ、我々のゲームの遊び方のすべてが開発者によって予め決められていて、それが済んだらゲームに飽きる、というサイクルを繰り返すのがなんだか気持ち悪かった。そして、私のゲームの遊び方は私が決めることにした。

スプラトゥーン2』の場合、私を除いて、ひと試合に7人のプレイヤーとマッチングする。つまり、単純に考えるならば、一人のプレイヤーがひと試合に与えられる影響は全体の1/8しかない。つまり、12%そこそこの活躍ができないと基本的にチームは負ける。けれど、他7人のプレイヤーが80%以上、試合の行方を左右する(もちろん、例外はあるが、そうしたものに配慮して、いちいち例外について書くのが面倒くさいため、割愛する)。

その試合結果で感情を左右されるのは少し危ない。
勝てば気持ち良いのだが、負ければ気分が沈む。この作品は調子が悪いと平気で10連敗するなど、地獄を見ることも少なくない。ニンテンドースイッチのプロコンを「プロ」と「コン」に分離させたくなるほど、頭に血が上ったこともある。
けれど、私は他者に気分を左右されるのが好きではない。そのため、自分の機嫌は自分でとりにいきたいと思った。そこで生まれたのが、「自分用デイリークエスト」という遊び方である。ゲームを用いた一人遊びだ。
自分で掲げた目標を達成するために、ゲームをプレイすることは試合の勝敗や誰が対戦相手なのか、ということに関わらず、自分との勝負の連続が待っている。勝っても負けても全て自分のおかげ(せい)である。
間違っても、この一人遊びの「結果」をTwitterに載せよう、なんて野暮なことはしなくていい。なぜなら、SNSにシェアするという行為は「他者の反応を期待すること」だからである。
これは「自分 VS 自分」という、崇高かつ創造的な戦いなのだ。他者がそこに安々と足を踏み入れていいわけがない。いや、これは決して大げさな表現ではないのだ。
上述の通り、多くの人が他者に与えられた目標を達成して、飽きていく。あるいは、これはテレビゲームだけの話ではない。
また、エンターテインメントだけでなく、きっと基本的に日常生活にあるものの全てが他者から与えられたものだ。だからこそ、DIYで苦労して作った自分特製の家具やバッグは「自分にとって」心地よいものなのだ。見ず知らずの人、赤の他人、そうした他者が作った家具にはその愛着が標準装備されていない。

他者に与えられたものに満足せず、自分だけの遊び方を築き上げる余地が「ゲーム」というメディアには残されている。もっと言えば、私にはそれがゲーム本来の価値にも見えてきた。

この「自分用デイリークエスト」という一人遊びは、ノートとペンがあれば記録を残せる。つまり、ノートに目標を書いて、それを達成するという流れだ。スマホアプリでも代用できるだろう。
ある日、その記録を振り返ったとき、めちゃめちゃ頑張っている、過去の自分のことが猛烈に愛おしくなる瞬間が来る。自己肯定感なんて、自己啓発書に引っ張られたような言葉を述べたくない。しかし、これが自己肯定感なのだと知るときが来る。

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子どもであれば、ゲームの得意不得意に自分の機嫌を持っていかれるのは仕方のないことだと言える(それでも小学生や中学生の中には『スプラトゥーン2』への理解度が私よりも高い子たちが多い。本当に見習うべきだと思う)。でも、大人なゲーマーなら、台パンなんてしてはいけない。大人は黙って、「自分用デイリークエスト」だ。

 

かつて、プロゲーマーの梅原大吾はゲームセンターに遊びに来ていた若い子が急に来なくなったときの話を講演で紹介していた。
その子に「どうしたの?」と聞くと、「飽きた」と答えたのだという。
「何に飽きた」、と問うと、「ゲームに飽きた」と返答。
ウメハラはその若い子が感じたであろうことを、このように表現している。

 

ゲームに飽きたんじゃない。成長しない自分に飽きたんだ。

 

スプラトゥーン3』のトレーラーが公開!それでも「2」に飽きない理由

先日、ニンテンドーダイレクトで『スプラトゥーン3』のトレーラーが公開された。私は朝から子どものように跳ね上がったし、目がバキバキになった。
それでも、私は『スプラトゥーン2』で「自分用デイリークエスト」を用意して、頻繁にプレイしている。飽きる兆候はまだ、ない。
もちろん、「3」が発売されれば、そちらに移行するだろうが、それは決して「飽きたから」という他者から与えられた理由ではない。
ゲームの遊び方は開発者が用意してくれている。しかし、私の遊び方はもはや、それに左右されていないのだ。これが冒頭に述べたアップグレードされた、ゲームの遊び方というものだ。

当然、全てのタイトルでこうした遊び方ができるわけではない。ちょっと遊んだ後に、自分に合わないと思ったら「ごめんよ!このゲームはノット・フォー・ミーだった」と割り切って、遊ぶのを辞めている。

私にとって重要なことは、自分がゲームを辞める理由、やる理由を他者に決めさせない、左右されないということだろう。
自分が好きなことをやり続ける理由や、辞める理由を他者から与えられるのは稚拙というか、無責任だと思うからだ。要は遊び方がカッコいい人間でありたいということになる。

好きなことをやり続けるのが辛くなる理由はそこに他者が足を踏み入れることを許した自分の承認欲求なのかもしれない。

 

これが、私のゲームの遊び方の話だ。